禁断の実

2005年5月4日 日常
ひとつ禁断の実を加えました。そして食べました。
罪悪感?

いえいえ。もう耐えられなかったのです。
分裂しそうな頭に。
もう壊れてしまいそうで。おかしくなりそうで。

そして、飲んだ瞬間、ごめんなさい。と謝った。
神様、ごめんなさいと思った、心の中で何度も。

パキシル飲みました、1番軽いのだけど。

今まで頓服にしか手を出さなかったのに、
もうデパスや頓服では効かないと思った。感じた。
パキシルなら大丈夫。そんな気もした。

多分、謝るのは今まで守ってきた自分の生き方に。
飲み続けたら、また自分の感情を抑制している感覚に陥るのであろう。
それは避けたい。

それでも治療院の先生は、
きっと飲んでも良いというだろう。

身体と心のワーク関係の読んでいた本にコウ書いてあった。

「問題は解かれる為にあるのではない。人生に張りを持たす2つの極なのだ」
ヘルマンヘッセの言葉だそうだ。

解決は両極性の彼方。到達するには2つの極をひとつにして、
反対のものを融和する。

解いてまた結ぶべし。

まず区別して分け目を知る事。
それができて初めて、対極の統一という行為ができると。

まずは物質界の両極性に深く降りる事。
これは身体であり、病気であり、罪である。

心の深い闇に降りて、そこに統一の光を見つければいい。

苦悩に満ちた道が実は有意義なのだと知り、もとにいた場所に戻ればよい。

と書いてある。

私は、薬を飲む事が今、とても自分らしい人間らしいと思いつつ、
病気になった事がとても人間らしくなったような気がしているが、
やはり、どこかで悩んでいます。

いつもいつも。

太古の昔に、
精神病が、大人になる為の通過儀礼であったように、
自然にそういうものがあったもののように、
人として、自然な現象であった事を考えると、

今の時代では、どうして排除されていかなくてはいけないのだろう。
いつも。考えています。

ヘルマンヘッセと話しがしたい。あなたは、自殺願望とどう打ち勝ってきたのかと問いたい。話しがしたい。
同じ物を目指す人と。

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